読めば人生1割は得する(かも知れない) 必読本の部屋
得しなくてもクーリングオフはききません(^^;

(著者名敬称略)
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★ シリーズ作品 ★
上橋菜穂子
「守り人」シリーズ
荻原規子
「勾玉」三部作
小野不由美
「十二国記」シリーズ
さかい ともみ
「ロザリオの祈り」三部作
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
「空中の城」シリーズ
トールキン
「指輪物語」
C.S.ルイス
「ナルニア国ものがたり」



★ 絵本作家別コーナー ★
バーバラ・クーニー ガブリエル・バンサン いわむら かずお



★ 単行本・作品別 ★
(五十音順)
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「あの空をおぼえてる」<原題:Wenny has wings>(著:ジャネット・リー・ケアリー/訳:浅尾敦則/発行:ポプラ社)
 ちょっと「ポビーとディンガン」を思い出しました。妹を持った兄貴ってみんなああなのでしょうか。なんかちょっとうらやましいぞ(笑)。
あと、「勇者フリーク」とかもね。大人も受け止めきれずにオタオタしている深刻な問題に、子供が子供ならではの生命力と快活さで体ごとぶつかっていく物語というのに、どうやら私は弱いみたいです。この兄貴もすばらしかった。

 途中、思わず表紙の絵を見返してしまう場面があります。もう我が家の中には単行本を置ける場所がないので(本棚いっぱい…)この本も図書館で借りて読みました。文庫が出たら買おうかなと思ったんですが、表紙が単行本のそれと違っていたら嫌だなあ…。同じの希望〜〜!
 それから、邦訳タイトルはすばらしいと思います。唸った。(2008.4.13)
 文庫版を発見!既に出ていたんですね…。表紙は単行本のと一緒でした!ブラボー!(買ってないけど)(2008.4.17)

「生きていくこと」(著:槻野けい/発行:講談社〔青い鳥文庫〕)
 ――なぜ、進(すすむ)の病気はいつまでたってもなおらないのだろうか。――人間が最初に安心してすめるように、すべてがととのっているところ、「子宮」 ――「子どもの宮殿」であるそこにいたときから、進は体が悪かったという。同じお母さんから生まれた、わたしはこんなに元気なのに。なぜ?――

 陽子のはじめての弟は、一万人に一人といわれる脊椎破裂症をもっていた。そのために、5歳になった今も進は歩くことができない。 陽子自身も、幼い頃に足を患い、治らないといわれたこともあったが、その後の治療ですっかり治って今は人一倍活発だ。そんな陽子には、 なぜ進の病気がいつまでたっても治らないのか、納得することができない。
 思春期にさしかかり、確実におとなへと変化していく自分のからだ。それはおとなになって子どもを生むためだと、おばあちゃんは言う。  でも、それならなぜ進のような子どもが生まれるのか?なぜ絶望して自殺に走るようなひとがいるのか?――

 小さい頃、わけもなく元気を出したい!と思った時などに、よくこの本を読んでいました。手のかかる弟に母親をとられて心を病む幼い陽子の気持ちや、 急激な体の変化に恐いような気がした時のことなど、自分と重なるものが多かったからです。物語のテーマとしては だいぶ固い、というか、難しいテーマのはずなのに、特に消化不良もおかさず、一気に読ませられる理由は文章に感じる力強さでしょうか。
 「生きる力」をつける教育だとかが巷で聞かれはじめたのは最近のような気がしていましたが、この本を改めて読んで、なんだ、そんなの、この本が出版された 30年前からあるんじゃん!と、目からウロコな気持ちになりました。この作品が第4回北川千代賞を受賞したのは1972年のことですが、 いまだに新鮮で力強い作品です。(2004.3.3)
■この本の復刊活動をしています。こちらから投票をお願いします!→ 絶版本を投票で復刊!



「イギリスではなぜ散歩が楽しいのか? 人にやさしい社会の叡智」(著:渡辺幸一/発行:河出書房新社)
「イギリスではなぜ散歩が楽しいのか?」――いやそれ、私がずーっと不思議だったことなんですけどっ!!
 …ということで、内容も著者もまーったく知らないのにタイトルだけで読んでしまったエッセイですが、なかなか面白かったです。金融アナリストとして現在もイギリスで働く渡辺さん自身が、「なぜイギリスでは散歩が楽しいのだろう?」と考えたあげくのいろいろな理由が、読みやすく述べられています。

 私自身、イギリスでは散歩がとってもとっても好きでした。「イギリスに行ってはまったものは?」と聞かれたら「ウォーキング!」と即答できるくらい。イギリスに行く直前に買った新品のスニーカーは、8ヵ月後には靴底が未だかつて無かったほどつるつるに磨り減り、思わず写真を撮ってしまったくらい。ただ外国に来たからってだけじゃなく、なぜあんなにショッピングでも何でもない、平凡な風景を見て歩くだけのことが飽きなかったのかずっと不思議だったんですけど、それにはみんな理由があったんですね。人間に関してのくだりにはちょっと良く書きすぎでは?とも思ってしまいましたが、コイン・ストリートについてのことは全く知らなかったのでとても面白かったです。(2005.9.30)


「絵本パパラギ〜はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと」(構成・絵:和田誠/発行:立風書房)
 タイトルを見て頷いた方もいらっしゃることでしょう。20年以上前に出版された「パパラギ」の簡易版です。
 そもそも「パパラギ」というのは、サモアの言葉で「空の穴から来た人」という意味だそうで、初めて帆船の白い帆を水平線の上に見たサモアの人々は、その白い帆が空に空いた穴に見えたんだとか。
 その後この言葉は白人を、ひいては文明国に生きる人々すべてを指す言葉になっており、この本は、20世紀初頭にはじめてヨーロッパを旅したサモアの酋長、ツイアビがサモアに帰り、ヨーロッパの印象をサモアの人々に語った言葉を記録して、出版したものだそうです。日本では1981年に日本語訳が同じく立風書房から出版されています。

 お…お恥ずかしいことに、私はこれまで、この「パパラギ」を読んだことがなかったのです…(恥)!
「何ですかそれ?」と聞いて驚かれてしまいました(--;)古典だったのですね…。
 この「絵本パパラギ」はもとの「パパラギ」をいくらかシンプルにし、イラストをたくさんつけて、 読みやすく、手に取りやすくなっています。私のように(笑)、まだ読んだことがない方は是非手に取ってみてください。

 内容は…読んだことのある方には言うまでもないですが…なんというか、もう、形容しようのない鋭さと輝きに満ちていますね。言葉のひとつひとつに力があふれていて、どこか一節を抜き出して紹介したいとも思ったのですが、それではどうにもこの魅力が伝わらない気がして、やめました。
 「物とは何か」「お金とは何か」「仕事とは何か」「時間とは何か」…この本を読み通すだけなら、おそらく30分とかからないと思いますが、この本についてよく考え、自分のものにしようと思ったら、一週間でも短いでしょう。文明社会に生きる人間が、氾濫する情報のためにかえって耳をふさがれ、眼を閉ざされていることをまざまざと自覚させられます。
 今、何か悩みを持っている人は、ぜひ一度読んでみてください。
 私たちの悩みが、いったいどこから来ているものなのかと、ふと後ろを振り返りたくなるはずです。(2002.5.10)


「えんの松原」(著:伊藤遊/発行:福音館書店)
 平安時代。やむなく女装して男子禁足の宮中で働く少年・音羽と、怨霊に祟られた皇太子・憲平。天皇が住まう御所の一角、昼なお暗く怨霊が住むといわれる「えんの松原」を中心に、怨霊の正体を探る静かな戦いを通して、音羽と憲平、二人の少年の成長が緩急のきいた文章で描かれています。
 音羽と憲平、性格も生活環境もまったく違う二人の少年の言動が鮮やかで際だっていて、物語を引っ張っている感じ。何より、音羽を養う老女、伴内侍(ばんのないし)の存在は大きい!登場人物の数はそう多くないのに、これだけ話がぐいぐい進むのは凄いと思います。話を進めるために、当時の身分制の厳しさとか、はしょってる部分もかなりあるようですが、それを気づかせずに話を引っ張るのがフィクション作家の力量ってもんでしょうし(笑)、そういう意味でなら十分許容範囲だと思いまっせ。クライマックスのシーンは映画みたいでした。この物語は映画にできるだろうな〜。地味だから売れないだろうけど(爆)。(2001.7.20)


「沖縄学 ウチナーンチュ丸裸」(著:仲村清司/発行:新潮社〔新潮文庫〕)
 文庫になっていたので購入。沖縄考察本は今や山ほどありますが、コミカルな筆致と一章ごとの短さ、テーマがよくまとめられているので、あまり堅苦しくなくそれでいて 真面目な所は真面目に、ついでにウチナーンチュにはウチアタイなツッコミがてんこもりで、くすくす笑いっぱなしでした。沖縄関連書籍の導入本として良い本だと思います。(2007.5.7)


「幼い天使」<原題:Misunderstood>(著:フローレンス・モンゴメリ/訳:皓子ポンピリオ/文:山下久美子/発行:小学館〔国際版少年少女世界文学全集12〕)
 私が人生初めて出会った「悲劇小説」って、もしかしたらこの本かもしれない。もう切なくて切なくて、読みながら泣いてたもんです。原題タイトルがそのまんま「誤解」なんですけど、本当にその通りの意味で、活発だけど、同時に弟思いで優しい心を持っているにもかかわらず、父親はじめ家族すべての注意が病弱でたおやかな弟のほうに行っているために、その美点を少しも評価してもらえず、逆に病弱な弟を振り回しては命の危険にさらしている無神経な兄と思われている少年、ハンフリーの物語です。

 たとえば、彼の良さを唯一理解してくれていた母親が死んだ日、悲しみを紛らわすために野原を駆け回っている姿を見た父親に「あれは心を持たぬ子だ」と思われたり。弟の病状を他の人よりも心配しているのに、心配するあまりにじっとしておれずに家人の周りをうろついて逆に締め出されたり。そのハンフリーの優しさ、心の広さがついに父親に理解されたのは、病弱な弟ではなく、ハンフリーが不慮の事故で死の床についたときのことでした。

 …と書くとただ暗い話のようですが、子どもでも最後まで読めるような明るいエピソードもたくさん出てきます。ハンフリーの腕白ぶり、才気走った利発ぶりに知人隣人が目を丸くするシーンなどは、読んでて楽しかった。作中、一見明るいイメージをもって出てくるハンプティ・ダンプティの歌が後から違う意味をもって出てきたりして、伏線も実にみごとです。ヴィクトリア時代の特殊な児童教育の一面(学校に行かせず家庭教師をつける、外国人のナニーと一日のほとんどを過ごして両親とは滅多に会わない、など)も緻密に書きこまれています。(2004.3.14)


「お姫さまとゴブリンの物語」<原題:THE PRINCESS AND THE GOBLIN>(著:ジョージ・マクドナルド/訳:脇 明子/発行・岩波書店)
子どもの頃(と言っても中学校くらい)に読んだ海外ファンタジーではとりわけ印象の強かった作品。いまだに良く手に取って読んでしまいます。なんと言っても、あの「おばあさま」の存在がとてもとても印象強いですね。見つけられたい人にしか見つけられない、お城の最上階でひとり糸つむぎをし、鳩の卵を食べてくらしている、見かけは若く美しい、でも数百年は生きている不思議な「おばあさま」のお姫さま。目に見えない糸をつむぎ、銀の湯船には月とお星さまが沈んでいて…。

そして、あどけない(主人公の)お姫さま。「ほんとのお姫さま」たる素質をそなえた、ちいさな、でもほんとに賢くてけなげなお姫さま。「お姫さま」という言葉は私は本来好きではないんですが(笑)、この作品だけは別!……読み返すたび、いとおしい思いをこめて「お姫さま」と呼びかけたくなるんですよね〜。
訳文がまた秀逸です。作者が読み手に語りかけるような口調の文章なのですが、一節一節がきれいで、句読点の打ち方が気持ちよくて。寝る前にこんな物語を読んでもらったら、いい夢が見られそう。

作者のマクドナルドは1824年生まれ。ルイス・キャロルとともにイギリス児童文学の黄金時代を築いた人です。この作品は1872年の作品。古典にしては読みやすく、かつ、古典しか持ち得ない独特の香気を備えた作品です。(2002.11.28)


「思い出のアンネ・フランク」<原題:Anne Frank Remembered>(著:ミープ・ヒース、アリスン・レスリー・ゴールド/訳:深町眞理子/発行:文藝春秋〔文春文庫〕)

「アンネの日記」と言えば、実際に読んだことのない人でもその存在を知っているでしょう。第二次世界大戦の時、ナチスのユダヤ人狩りを逃れて「隠れ家」で過ごしたものの、ナチスに見つかってアウシュビッツで命を落とした少女が、「隠れ家」潜伏時代に書き溜めた日記。著者ミープは、アンネ一家がナチスに連れ去られた後で、ナチスに見咎められる危険を冒してアンネの日記帳を保護した、その人です。この本は、そのミープがアンネ一家に食料や生活用品を届け続けた2年余りの間の出来事を中心に、彼女の生い立ちから戦後の出来事までを記した回想記です。

実を言えば、私はそんなに熱心な「アンネの日記」読者ではありません。アンネが書いた童話は好きでしたが、日記そのものは斜め読みしかしていません。でも、この本を読んで、改めて「アンネの日記」を読みたくなりました。この本は、アンネが隠れ家で日記をつづっていた時に、外の世界で何が起きていたかを語っています。著者のミープはナチスでもユダヤ人でもなく、オーストリアで生まれたオランダ人です。彼女の目から見たユダヤ人、オランダ人、ドイツ人は、ただ迫害する側のナチスと、迫害される側のユダヤ人という二つの種類だけには収まりきれず、多種多様です。ナチスの占領下におかれた戦時中の一般市民が、どのようにして過酷な選択を行い、生き抜いたか、という点において、現代人にとっても重要なテキストであり、真の人間性とは何かを考えさせられます。

でも、私がこの本で一番衝撃を受けたのは、最終章の終わりにミープが「たとえ「アンネの日記」が世に出なくても、アンネたちが生きて戻ってきてくれたなら、その方が良かった」と書いていることでした。「アンネの日記」といえば今や反戦文学の筆頭にあげられる名作中の名作、世界平和のためにどんなに貢献したか分からない人類の遺産ともいえる本なのに、それが地球上から無くなったとしても、アンネ自身が生きていて欲しかったというミープ。彼女にとって、アンネは世界的に有名な本の著者でも悲劇のヒロインでもなく、ただ家族にひとしい一人の少女だったのだと、痛感させられた一瞬でした。(2008.1.8)


「思い出のマーニー」<原題:When Marnie was there>(著:ジョーン・ロビンソン/訳:松野正子/発行:岩波書店〔岩波少年文庫〕)
ああ、何だか読んでいる間中、別世界に連れていかれてしまいましたよ…。
上下巻に分かれていて、上巻の途中、アンナがマーニーと出会うまではちょっと挫折しかけたんですが、その後はもう怒涛の勢いでした。でも、その「上巻の途中まで」もきちんと読んでおくと、アンナがどんな子か分かって後半の読み応えが増すと思います。…ああ、でもつまらないわけじゃないんですよ、上巻も。ただ、結構思い当たる所が多くて(ウチアタイする、といえば南国の方はお分かりでしょう…笑)。「やってみようともしない」って、私もそういえば子供の頃よく言われたような…特にアウトドア方面で(苦笑)。

…まあ、それはさておき。不思議な不思議なタイム・ファンタジーでした。
ちょっと「トムは真夜中の庭で」を思い出しました。あと、まだ読みかけだけど、「時の旅人」とか。何というか…どうして欧米ではこうも自然で、読者自身にすらタイム・ファンタジーだということを悟らせないような児童文学が書けるんでしょうね?日本ではまだ、少なくともこの「思い出のマーニー」のような子供が主人公のタイム・ファンタジーって見たことがないんですが…私が知らないだけかなあ。
あ、「時をかける少女」はそれにちょっと近いかな…。

とにかく…マーニーが何者か、っていうのは最後にはわかるんだけど、どうしてそんなことが起こったか、それについてアンナやマーニーがどう思っていたか、というのは一切読者には分からない、という所が読後感を一層深めていて、とても美味しい料理を食べたのにどんな材料がその料理に使われているのかさっぱり分からない、とでもいうような、後に謎をひく物語になっています。。

原題の直訳は「マーニーがいた時」。これはおそらく、最後の章と深く関係していると思います。これはただの推測ですが、「時間」の有り様がこの物語のテーマと深く関わっているだけに、原文はかなり言葉の過去・現在・未来形に気を使った文章になっているのではないでしょうか。ちょっぴり原文を読んでみたいなあと思いました。最後の章だけでもいいから。(2005.7.31)


「カーディとお姫さまの物語」<原題:The Princess and Curdie>(著:ジョージ・マクドナルド/訳:脇 明子/発行:岩波書店)
 「お姫さまとゴブリンの物語」の続編。今度の主人公はカーディ。…ですが、前作とはかなり雰囲気が変わって、生々しいというか、暗いというか…これは、悪だくみをしているのがゴブリンではなく人間だからなのでしょうか。人間の姿をした怪物(比喩です)に命を狙われている王さまを救うために、前作から少し成長したカーディとお姫さまが、怪物の姿はしているが善良な心をもった生き物たちと共に戦うお話です。お姫さまとカーディが再会してから、病気の王さまを助けようと、敵ばかりの城内を知恵と行動力で切り抜けていくところがとても好きです。

 「おばあさま」のお姫さまがおこなう「不思議」も健在ですが、前作の「不思議」を金と銀のきらめくような、とたとえるなら、今回は炎と薔薇の揺らめくような、怪しく魅惑的なものになっています。リーナがなぜあんな姿をしていて、そして最後にどこに行ってしまったのか…いまだに解けない、不思議な謎です。(2002.11.28)


「カモメに飛ぶことを教えた猫」(著:ルイス・セプルベダ/訳:河野万里子/発行:白水社)
「きみはカモメだ。だがチンパンジーの言ったことで正しいのは、それだけだ。ぼくたちはみんな、きみを愛している、フォルトゥナータ。たとえきみがカモメでも、いや、カモメだからこそ、美しいすてきなカモメだからこそ、愛しているんだよ。これまできみが、自分を猫だと言うのを黙って聞いていたのは、きみがぼくたちのようになりたいと思ってくれることが、うれしかったからだ。でもほんとうは、きみは猫じゃない。きみはぼくたちとは違っていて、だからこそぼくたちはきみを愛している」(本文より)

…台詞を引き写しているだけでも泣けちゃうよ〜 何ていい話なんだ〜(爆涙)

これは、ドイツの港町に住む黒猫ゾルバが、ある日瀕死のカモメの母親に出会った所から始まります。カモメはゾルバに自分の卵を守り育て、一人前に飛べるカモメにしてくれるよう頼んで死にます。ゾルバをはじめ、港町に住む猫たちは、「猫の名誉にかけて」この約束を果たそうと奔走する。そういうお話です。
 個性的な猫のオヤジたちの会話がたまらん。雄猫のゾルバを「ママ」と信じて疑わないカモメの子(フォルトゥナータ)にもたまらん。まず、猫好きにはたまらん話ですぜ。悪いことは言わない、猫好きはみんな読め。(高飛車)(2001.7.14)


「銀のキス」<原題:The Silver Kiss>(著:アネット・カーティス・クラウス/訳:柳田利枝/ 発行:徳間書店)
死病に瀕した母親を持つ孤独な16才の少女と、300年もの間 ひとりで生きてきた吸血鬼の少年が、その孤独ゆえに一目で惹かれあうロマンス・ホラー。生は死によって、 恋は孤独によって、光は闇によって輝きを増す…などという言葉がフッと浮かんでくるような、はかなくも 美しい物語。二人の出会いのシーンや、キスシーンの描写がとても綺麗でした。本の厚さのわりに内容が 濃い。話をふくらませれば映画にできそうな感じだ。(2001.5.28)


「クリスマスの女の子(原題:The Story of Holly and Ivy)」(著:ルーマー・ゴッデン/訳:久慈美貴/発行:福武書店)
 『これは、ねがいごとのおはなしです。それから、人形とひとりの女の子のおはなしでもあります。まず人形のおはなしからはじめましょう。』…こんな語り口で始まる、クリスマスには自分を抱いてくれる女の子と自分の家がもらえると信じている人形と、クリスマスには人形をもらえると信じている孤児の少女のお話です。単なる甘いお伽話だと鼻で笑われるかも知れないけれど、要所要所でスパイスがきいていて、読みながらハラハラさせられる所も。脇役の大人たちも寂しいけれど優しくて、そういう所もきっちり書き込まれています。ラストには泣かされました。誰か、映画にしてくれ〜!
 クリスマスに何度でも読み返したいお話です。(2001.11.16)


「獣の奏者」T:闘蛇編 U:王獣編(著:上橋菜穂子/発行:講談社)
 「天と地の守り人」以前に出版されていたのですが、あちらの完結編を読むまではと思ってとっておいた上橋さんの長編ハイ・ファンタジー。作中の雰囲気は、舞台がまったく違うのにも関わらず、なんとなく「狐笛のかなた」を連想しました。なんというか…何かをいとしい、と思う自然で純粋な気持ちと、それを利用しようとする人間社会とのしがらみ、という点でちょっと共通点があるかな、と思って。でも、まったく違う物語です。とりわけ、主人公のエリンの孤独と情熱、そこから生まれるきわだった凛々しさは、挿絵が一枚もないにも関わらず、あざやかな人物像を浮かび上がらせてくれます。

 しかし、この物語で一番魅力的なのは、なんといっても自然界の描写ではないでしょうか。最初に登場する動物が「闘蛇」という架空の動物なのでそんな気はしませんが、その後の蜜蜂の世界、そして王獣の魅力など、エリンと一緒になって引き込まれてしまいます。王獣なんか架空の動物なのに、なんだかその神々しさが伝わってきて。ドラゴンに似ているのでしょうか? ちょっと違う気もするけど。

 自然の大きさ、美しさ、そして容赦ない残酷さを大きなスケールでとらえ、感動することができるのは(たぶん)人間だけ。
 でも、その人間は、人間どうしの社会がつくるしがらみの中でしか生きていけない。この大きな矛盾。
 その矛盾を追い続けたエリンの物語です。(2007.6.8)


「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言」(著:井筒和幸ほか18人/発行:岩波書店〔岩波ブックレット657〕)
憲法とか、ひいては政治とかやっぱり難しくて良く分からないんですよ。最近、憲法を変えようとか、なかでも「平和憲法」を変えよう、あるいはなくそう、という意見を聞くことが多くなって、その理由には頷けるところもあるけれど、あの9条と前文がなくなってしまうのは何となく嫌だなあ、と思ってました。だって、あの文章、すばらしいでしょう?

国の憲法としてどういうふうに生きているかとか、そういう具体的な方法論はさておいて、あの文章はすごくすばらしいと思います。とても理想的なもので、だから理想なんて絵に描いた餅で食べられないものを持ってたって仕方が無い、っていう人の気持ちも分かるけど、そういう意見をさしおいて、この一見美しすぎる文章を憲法の条文として持っている日本という国が、ちょっと好きでした。イギリスに行った時も、「日本人学生と韓国人学生がいるクラスで戦争の話はタブー」とイギリス人教師に苦笑まじりで言われるほど、日本人であるがゆえの中国人や韓国人との付き合いにくさ、「日本人であること」からくるメリットがない故に、自分自身の「人格」で彼らとつきあっていくしかない緊張感をいつも感じていたけれど、それでも「今の日本は戦争をしないって事を公式に約束している国だから」ということが励みになっていた所もありましたし。

知識人と呼ばれる人たちが、憲法9条についてどう考えているのか、それを知りたくて読んだ本ですが、9条に関して上記のようなイメージを抱いていた私にとって一番分かりやすかったのは姜尚中さんの文章でした。「憲法は理想としてのフィクション」という言葉に、言いたかったけど言い表せなかった言葉を表現してもらった気がしました。そこで浮かんだのが、梨木香歩さんの「裏庭」の一文。

「パパとママは真面目に生きてるけど、誇りをもって生きてない。楽しんでもいない。光に向かうまっすぐさがない。それは子どもにとってはどうにもならないやりきれなさだ。」

そうそう、「光に向かうまっすぐさ」…これなんですよね。私が最初に学校で9条を読んだ時に感じたもの。だから私はこれがずっと好きだったんです。現実にそぐわない理想だけど、理想のない現実ほどつらいものはない。大人が現実に妥協してしまったら、子どもはすごく辛いと思いますよ。子どもは大人が子どもにできない凄いことをしてるって思ってますから(少なくとも私はそう思っていたよ…)、大人がたとえそんな凄いことはできなくても、そこへ至る努力を放棄してしまったら、子どもはどこへ向かって成長していけばいいんです?そりゃ未来に対して悲観的にだってなるでしょう。

…わたしはやっぱり、ごくごく個人的な意見を尊重させてもらえば、やっぱり9条と前文はなくしたくないなあと思います。到達できない目標かもしれないけど、日本って国はそこへ至る努力を絶対諦めない国なんだよ、って誰かに言うことができたら、それはやっぱりすごく誇らしいと思うし、自分にとっても励みになることだと思うので。(2005.9.6)


「こそあどの森の物語」(著:岡田淳/発行:理論社)
 6冊一気読みできる軽いタッチの和み系童話です。主人公はスキッパーという内気な少年で、ろくに人と話もできない彼がある問題を解くために隣人たちと知り合っていく所から始まります (1冊目「ふしぎな木の実の料理法」)。その後、気のいい愛妻家の隣人が行方不明になったり(2冊目「まよなかの魔女の秘密」)、古い本から見つけた伝説の海賊の真実を探し当てたり(3冊目「森のなかの海賊船」)、現れては消える不思議な子供たちに出会ったり(4冊目「ユメミザクラの木の下で」)、飲むと歌い踊りたくなる草を見つけたりして(5冊目「ミュージカルスパイス」)いく、彼を中心とした森の中の住人たちのとある出来事、というコンセプトで、毎冊、違った味わいを出しています。今年発行された最新巻の6巻(「はじまりの樹の神話」)だけが前の5冊に比べて1.5倍くらい話が長く、内容もミステリタッチで異彩を放っているんですが、かろうじてほのぼのとした童話的雰囲気を保っています。

 全体としてスリルも息を飲むような展開もなく、安心して読める物語です。物語というより、童話かな。ちょっと肩の力を抜いて、お茶やお菓子を食べるように読めるお話です。1998年に国際児童図書評議会が「世界中の国々に広く紹介したい優れた子どもの本」として認定している「オナーリスト作品」の指定を受けています。

 ただ、私的感想として…すごく「さびしさ」が根底に漂っていると思うのは、私だけでしょうか? 主にスキッパーの寂しさです。孤独を愛しつつも隣人と仲良くしている6巻時点でのスキッパーは自分では自分が寂しい子供だとは思っていないんですが、彼自身も気づいていない寂しさが、全巻を通して漂っているような気がして、せつない気持ちにさせられるんですが…(2001.10.9)

7作目「だれかののぞむもの」
こそあどの森の物語最新刊。
しかし、今回もせつなかった…というか、これまでにもこの作品にはある種の「寂しさ」を感じていたけど、今回は極めつけに切なかったです。や、おなじみの登場人物たちが何かせつない境遇になるというわけではないのですがね。
せつなさ故か、ちょっと寒々しい雰囲気になっていた中で、「テンニョノマイタケ」スープの温かさと美味しさがじんわりしみるお話でした。むしろ冬向けかも。
しかし今回のこの本は英語版が出るのでしょうか?フーってWhoだし、ホェア村ってWhereですよね?それとも単に言葉あわせでしょうか…。(2005.9.6)

8作目「ぬまばあさんのうた」
こそあどの森の物語2006年新刊。
食育とファンタジーの巻だった…!※読了直後の感想。
…と言ったら笑われますかねー。でもそんな感じだったの。もちろん、こそあどの森のシリーズそのものが元々ファンタジー作品ではあるんだけど、今回は特に、殿様と奥方様とか、約束にとらわれた精霊とか…。なんだかジョージ・マクドナルドの時代にある、古典ファンタジーのにおいがしました。
あと、私も好きな「ことば」とか「なまえ」の重要さが扱われてて良かったな。
最後の魚の料理、私も作ってみたい!と思ったのですが、現実世界で使われていないスパイスだったのでがっかりしましたわ(笑)。(2007.7.13)


「狐笛のかなた」(著:上橋菜穂子/発行:理論社)
 初めは、最近のYA書でよく見るような、古代の日本を舞台にした超常能力者たちを主人公にした話なのかな〜 と思っていたんですが、読み進めていくうちに「これは違う」という気がしてきて…後半は一気読みでした。読み終えたとき、「ああ、これは<憎しみの連鎖>を断ち切るための物語でもあるんだな」と思って泣けてしまいました。

 土地争いを発端にはじまった二つの国の憎しみ。それぞれにそれぞれの正義があって、もはやその憎しみをどこから切り離せばいいのかもわからない。その狭間で、湯来(ゆき)ノ国の呪者に使われる使い魔・野火と、人の気持ちを<聞いて>しまう力を持つ春名ノ国の少女・小夜が、立ち向かうにはあまりにも強く、激しい世の中のしがらみに、それでも立ち向かおうとする姿があまりにもせつなく、痛々しい。 望みの強さ、懸命に生きようとする命の強さと、長年に渡る憎しみと恨みのよどみが、光と闇のようにあざやかなコントラストを描く物語です。


「さよなら、「いい子」の魔法」<原題:Ella Enchanted>(著・ゲイル・カーソン・レヴィン/発行・サンマーク出版)
…すごい。素晴らしく力に満ちあふれた物語です。これがヒットしなかったら邦題のせい(笑)。 タイトルだけ見ると、弱気で軟弱な主人公の成長物語のようじゃありませんか?これまでたくさん 出されてきたような、ありきたりの。っていうか、そもそもこのタイトルじゃ小説だか 自己啓発書だかの区別もつかないかも(苦笑)。でも中身は大違い!読み始めたら止まりません。
産まれた時にかけられた「従順」という魔法のために散々な目にあいながらも、ユーモアと行動力とを 持って人生に立ち向かっていく不屈のシンデレラ、エラ。彼女の輝くばかりの自立心と行動力は、すべての 現代人の憧れであり、その指標となるでしょう。 ちなみに原題を直訳すると「魔法をかけられたエラ」。
こっちの方がシンプルで、私は好きです。だからなぜこの邦題…(←しつこい)。(2001.1.9)


「三人のおまわりさん」<原題:The Three Policemen>(著:ウィリアム・ベン・デュボア/発行:学習研究社)
子どもの頃、よく読んだ子ども向け読み物のひとつです。「1割本」に入れるほどためになる本じゃないけど、「1割ぶん」は確実に楽しいんじゃないかな。とにかく子どもの心をつかむエッセンスがふんだんに盛り込まれてると思いますよ、これ。

まず、舞台。北緯58度、西経16度(なんて、やたらと詳しい描写もツボ)の大西洋にある、「ほとんど誰にも知られていない」島、ファーブ島。穏やかな気候、豊かな作物、そして何よりふんだんに獲れる魚。ファーブ島のほとんどの人が漁師で、ファーブ島をまとめる市長さんは島いちばんの魚つりの名人。

そして、主人公である三人のおまわりさん。「三」って数字がいいですね。彼らは市長さんの次に偉いのですが、平和なファーブ島では誰も悪いことをしないので、おまわりさんたちはとっても暇。島の誰も、彼らが本当に有能なのかどうか、知りません。彼らには、彼らの自転車の世話係であるボッツフォードという黒人の少年がひとり、ついています。

そんなある日、魚をとる網が盗まれます。早速、おまわりさんの出動です。おまわりさんは次々といろんなことを考え出して計画しますが、いつもさりげないボッツフォードの妙案に計画を修正させられます。その度にボッツフォードは「自転車の世話をしてこい!」の一言で追い払われて、名案を横取りされる形になるのですが、おまわりさんたちが間抜けで憎めないので、あまり腹もたちません。ただ、やたらと賢いふりをするおまわりさんたちが可笑しくてゆかいなだけ。

いろんな計画の末、彼らは首尾よく泥棒をとらえ、裁判にかけます。…この、泥棒を捕らえるまでの大胆な計画にはどきどきすること間違いなし。そして最後の裁判での、どんでん返しもこれまた見事。最後に出てくる「かいじゅう」も、やたらとアリの巣だのリスの巣だの、細かい屋内見取り図を描くのが大好きだった私にはツボでした…あんなもので私も旅をしたーい!と思ったものですよ。


「障害者の日常術」(編:社会福祉法人東京コロニー 障害者アートバンク/発行:晶文社)
29人の障害者に対するインタビュー集です。といっても堅苦しいものでは全然なくて、障害を持っている人が普段どんなふうに生活しているか、生活する中でどんな感じ方をしているか、ということを率直に語っています。盲目の絵本作家エム・ナマエさんのインタビューも載ってますよ。「松葉杖の生活で一番困るのは、デートで手がつなげないこと」だとか、「結婚したくて、彼女をつかまえるために新車を買ったんだけどどうしよう」のような、すごく身近でユーモラスな話題もあれば、「障害者は狭い世界の中で暗くてかわいそうな生活をしてないといけないの?」という、ごく当たり前だけどハッとさせられるような素直な言葉もあります。

 沖縄のハンセン氏病の人が味わった人間以下の扱いや、精神障害者と精神異常者の違いも、これを読まなければ知らなかったと思う。最近本が出て話題になった、障害者の性生活についての話も既に載ってますしね。とにかく総体的な、障害者の生活について知ることができる、読みやすい入門書といっていいと思う。もう十年前の本ですけど、いまだに読むたびに新鮮な発見をさせてくれます。お薦め。(2005.5.15)


「1000の風 1000のチェロ」(著&絵:いせひでこ/発行:偕成社)
1998年の春に行われた阪神淡路大震災復興支援チャリティ・コンサート「1000人のチェロ・コンサート」に参加なさった絵本作家・いせひでこさんの綿密な取材をもとに描かれた絵本です。最愛の犬を失った少年。神戸で震災に遭い、避難を余儀なくされたためにかわいがっていた小鳥を空に放した少女。持ち主を失った楽器を奏でる、楽器を失った老人。傷みをかかえたひとりひとりが集まって奏でる音が、何かを生みだしていく……やさしい言葉とやさしい絵で描かれた、限りなくあたたかな絵本。(2003.1.18)


「そばかすの少年」(著:ジーン・ポーター/訳:村岡花子/発行:角川書店〔角川文庫マイディアストーリー〕)
たまたま古書店で出会ったコミック版「そばかすの少年」(画:竹宮恵子)に惹かれて原作を借りてきました。同じ作者による「リンバロストの乙女」という物語があるということは知っていたのですが読んだことはなく、この物語も今回初めて知りました。

親もなく、引き取られた先のひどい仕打ちに耐えかねて逃げ出した片腕の少年、そばかすが、職を求めてマックリーン支配人の木材会社の飯場へやってくる所から、この物語は始まります。そばかすという愛称は読んで字のごとく、顔にそばかすがたくさんある所からです。一文無しで、物心ついた頃に既に片腕はなく、親の顔も本当の名前すらも持たないそばかすは、それでも気高く正直な心を持っていて、その心ひとつでマックリーン支配人や森に研究のためにやってくる鳥のおばさん、そしてそばかすが心底敬愛してやまない美しい少女、エンゼルの尊敬と信頼を集めていきます。

自然の豊かさと残酷さにある時は感動し、ある時は命を脅かされながら、森への愛情を募らせていくそばかすの心情を反映するかのように、自然描写がじつに美しく豊かで、むっとした緑の香りと熱気は、まるで行間から香り立つかのようです。その一方で、人間らしい人間というものの豊かさが実に魅力的に描かれていて、「気高さ」という言葉の意味を久しぶりに肌で感じました。

村岡花子さんの読者に媚びない古風な翻訳もまた素晴らしいです。とても美しくて、透き通っている。どうしてこの作品をこれまで知らなかったのか不思議です。それとも必要としている時に必要とされている本が出会って、いま、この時期になったのでしょうか。この本に限っては、そんな事も信じてしまえそうな気がします。(2004.9.19)
■この本の復刊活動をしています。こちらから投票をお願いします!→ 絶版本を投票で復刊!


「DIVE(ダイブ)!」(全4巻)(著:森絵都/発行:講談社)
 以前から「人気があるみたいだね〜」と横目で見ていた作品(笑)。完結したと聞いたので4冊まとめて図書館で借り、そして一気に読破いたしました。ああ、面白かった!!
 スポーツものにありがちなことですが、私の場合「スポーツ競技そのもの」を見るよりも、こうした「スポーツ競技もの」(小説にせよコミックにせよ)を先に見たほうがスポーツ競技を見るのが楽しみになります。ややこしい競技の種類や、難易度、採点の仕方など、競技を見る時に不可欠なのに分かりにくいことも分かりますしね。そして、この本を読んだこれからは、飛び込み競技も好んでチェックすることになるでしょう(^_^)。それは、わずか2秒足らずの演技のために、文字通り血反吐を吐いて努力している人たちが実際に存在するということを、この作品に教えられたから。周りのほかの少年たちが、恋に、勉強にと心のおもむくままに若さを費やしていく中で、それらすべてを費やして飛び込みに賭ける少年たちの命の輝きにぐいぐいひきつけられました。「スポ根もの」が好きな人はもちろん、苦手な人にも「いっぺん読んでみない?」と薦めたくなる本。(2003.3.15)


「たのしい川べ」<原題:The Wind in the Willows>(作:ケネス・グレーアム/訳:石井桃子/発行:岩波書店<岩波少年文庫>)
もっと子供の頃に読みたかったな〜。や、今読んでもじゅうぶん楽しいこた楽しいんですけど、あくまで平和で陽気で闊達な川辺の生きものたちの生活に、寓意を感じちゃったらお終いという気もする。こういう動物擬人化作品は、ささいな矛盾なんぞさらりと無視して、作品世界の中に入り込んでどきどきしたりワクワクしたりするのが正しい読み方ってもんじゃないかしら。とか思ったりして。

イギリスじゃ超・有名な20世紀初頭の古典童話です。アニメ・子供向け演劇・人形劇などでとてもとても愛されてます。「くまのプーさん」原作者のミルンによって劇化され、挿絵もプーさんの挿絵を描いたシェパード、日本語訳もプーさんを訳した石井さんです。…と思ってみれば、なるほど雰囲気が似てるかも?!どちらもイギリスの美しい田舎を舞台にした田園作品だしね。(2005.5.22)


「地球が動いた日」(作:岸川悦子/発行:新日本出版社)
1995年1月17日、僕たちの町を大地震が襲った―――一流中学を目指していた少年を襲った突然の惨事。幼なじみの死、父親を失った友達。その中でも「思い出はなにより大切だから」と頼まれていた写真を倒壊した仕事場から取り出して店の前に立ち続ける写真屋のおばさんや、あたたかな肉まんを持たせてくれた中華街のおじさん、そして家族のあたたかい愛情と絆に支えられて立ち上がる子どもたち。
すべてが事実に基づいて書かれた本だけに、物語としての出来がどうのこうのという批評はふっとんでしまう臨場感があり、その中にこめられた作者のメッセージに心うたれます。「えっちゃんのせんそう」など、事実を基にしたドキュメンタリー童話を書かせたら右に出るもののない岸川悦子さんの作品。アニメーション映画にもなったそうです。(2003.1.18)


「天使の花かご」<原題:Basket of Flowers>(作:クリストフ・フォン・シュミット/訳:谷村まち子/発行:偕成社〔少女名作シリーズ〕)
小学生の頃から親しんでいた、「偕成社版少女名作シリーズ」の中の一冊。このシリーズは、美しい挿絵と、現代ではあまり見なくなった「無垢」や「清らかな信仰」といったものを素直に正面からとらえた作品を多く含んでいて、手元に現物が残っていないにも関わらず、心に長く残る作品がたくさんありました。この本もそのひとつ。先日古書店で発見、思わず購入してしまいました。

主人公の少女メリーはドイツの小さな村で年老いた庭師の父親と二人で暮らす、美しく心優しい少女です。二人は貧しいものの、花いっぱいの小さな庭のある小さな家で幸せに暮らしていました。近くには毎年静養にやってくる伯爵一家の城があり、メリーは、ある日近くを通りかかった伯爵婦人と令嬢に花束をあげたのをきっかけに、年頃の近い伯爵令嬢アメリアに気に入られ、お城へ遊びに行くようになりました。ところがある日、伯爵婦人のダイヤモンドの指輪がなくなったため、その時城を訪ねていたメリーが疑われ…。

女の子なら一度は憧れる(で、あろう)リボンやフリルがたくさんついたドレスを優雅にまとった美しい挿絵がふんだんにつけられ、加えて話のキーポイントである「花かご」と花の美しさの描写が鮮やかで、そればかりがすごく印象に残っていました。ストーリーとしては、清らかな心の善人が苦労しつつも最後にはむくわれる、という古典的な展開なんですが、改めて読んでみると、この「花や草木の美しさ」が、人間の清らかでひたむきな心の在りように例えられているような気がします。昨今では日本全体が宗教アレルギーになってしまって、ひたむきに神様を信じる児童文学の主人公なんて滅多に見ないですから、逆にこれはとても新鮮に感じられますね。特に、指輪を盗んで疑われたメリーが裁判で、「わたくしが指輪を持っているといったら、それはうそになります。うそをいえば、いのちがたすかることがわかっていても、わたくしは、うそをいいたくありません。ほんとうのことを正直にいって、死刑にされるのでしたら、わたくしはよろこんで死にます」と言い放つシーンには、今でも心を打たれます。


「トゥートとパドル〜ふたりのすてきな12か月〜」(著:ホリー・ホビー/訳:二宮由紀子/発行:BL出版)
 今、マイブームの絵本です。トゥートとパドルは、ウッドコック・ポケットという所に一緒に住んでいる、仲良しの子豚。でも、今の生活に満足しているパドルと違って冒険好きなトゥートは、ある日世界一周の旅に出てしまいます。旅先からパドルのもとへ送られてくるトゥートの旅と、それに返すウッドコック・ポケットでの生活を楽しむパドルの声。1年間の二人のラブレター日記(笑)です。
 本の折り返しには、『あなたが好きな人と、"とてもなかよしでいること"と、"いつも自分らしくいること"を両方、同時にするための物語』とありますが、まさしくそんな感じ。蜜月のひとつの形です。
 シリーズがこの本を含め4冊出ています。どれもラブラブで可愛いですが、やはり最初の「12か月」が一番好き。絵がまた素敵なんです。色合いが繊細で、とにかく子豚がかわいいっ!(2002.4.6)


「The Two Princesses of Bamarre」(著:Gail Carson Levine/発行:HarperCollins)
「Ella Enchanted」の著者、ゲイル・カーソン・レヴィンの作品。この方の本、日本では今のところ1作しか翻訳されてないんですよね。翻訳された作品=有名な作品=これだけがイイ!という作家さんも、そりゃいるにはいるでしょうけど、「さよなら、いい子の魔法」を読んだ感じではこの作者さんにそんな感じはしなかった。他の作品もきっと良いに違いない!!と、イギリス渡航中、まだまだ英語もろくにできないというのに、本屋にかけこんで買った本。今頃読み終わりました…(ダメダメじゃん)。

読み始めた時はなかなか進まなくて。少し読んではつまづき、特に吟遊詩人が歌うような「詩」が頻繁に出てきたのには参りましたねえ。しばらく放っている間に読んだ内容を忘れ、また読み返す…ということを4回くらいやったかなあ?(^^; でも、ようやく2/3くらいを読み終えた時には弾みがついて、いつも鞄の中に持ち歩いて読み進めるうち、最後の五章はのべ3時間くらいで読み終えてしまいました。あああ、面白かった!!!

この本はなかなか読んでいる人もいなかろうと思うので、ちょっとあらすじを書いてみますね。一字一句訳したわけではなく、ものすごく意訳かつ読み落としも多いと思うので、その点ご勘弁を。(読んだ方、間違いがありましたらご指摘お待ちしてます…;)

幼い頃に母を亡くした二人の王女、姉姫Meryl(メリル?)と彼女より一歳年下の妹姫、Addie(アディー)。彼女たちの国、Bamarre(ベマーレ?)国は多くの脅威にさらされていました。毎年多くの国民を襲い、殺害するogre(巨人)、グリフォン(羽根のある獣)、spectres(実体のない幽霊のようなもの。人をだまして死に誘う)、ドラゴン、そしてGrey Death――『灰色の死』と呼ばれ、原因も治療法も分からないまま体力を失い、数週間で眠るように死に至る、不治の病。彼女たちの母、この国のお妃も、その病で命を落としていたのです。しかし彼女たちの父王は、それに対して何の対策をするわけでもなく、ただ魔法使いの意見を聞き、本を読んでそれに従うだけの無気力な人でしたが、それでも二人は家庭教師のBella(ベラ)や妖精(サイズは人間並み。様々な特殊能力を持つ種族)の看護士、Milton(ミルトン)に育まれて成長します。

二人の性格はまったく正反対で、姉のメリルは乗馬や剣が大好きな活発で勇気のある女の子。妹のアディーは小さな蜘蛛にもおびえる臆病な(どちらかというと父似の)女の子でしたが、二人はお互いをただ一人の片割れ、なによりも大事な相手としてほとんど離れずに成長します。恐がりの妹アディーにとって一番の不安は、いつも自分を守ってくれる姉メリルが、いつか自分をひとり残して城を出、念願の冒険に旅立ってしまうことでした。そこでアディーはメリルに約束させます。「私がいつか結婚するまで、決して私の側を離れないと誓って!」

しかし、変異はある日突然、何の前兆もなく起こりました。その日、父王づきの見習い魔法使い、Rhys(リス?)にもらった贈り物のお礼にと、メリルとアディー、ベラ、そしてリスは、中庭でメリルの得意とする勇者Drualtの英雄譚の朗読を聞いていました。朗読が終わり、皆が城の中へ入ろうとした時、リスがアディーを呼び止めました。最初に気付いたのは魔法使いである彼でした。彼はアディーに告げました。「今日からです。昨日はそうではなかった。あれはそういうふうに始まるのです。メリル姫は…"Grey Death"に罹られておいでです。」


…とまあ、こんな感じ。あらすじって難しいですね…。

お姫さまが主人公だけあって、それなりにロマンスもあるんですけど、この物語のテーマは断然「姉妹愛」でしょうね。勇気があると思われていた人が弱り、臆病だった人が勇敢になるお話…と端的に言うとすごくありきたりに感じますが、この作品に関しては、登場人物がすごく生き生きしているので、アディーが日に日に弱っていくメリルを見て嘆くシーンや、メリルに生きてほしいがためだけに、どんどん変わっていくアディーの描写は迫力がありました。最後のグリフォンとの戦いとか、その後に続く二人の再会とか…。アディーは最初、欠点だらけの女の子ですが、ただひとつ、刺繍の腕だけは玄人はだしの腕前なんです。それが最後にすごい伏線になって現れていて、「うわあ、そうくるか」と感動しました。ハッピーエンドはハッピーエンドなんだけど、「元のさやに納まる」ハッピーエンドではない所が、「さよなら、いい子の魔法」を書いたレヴィンさんだなあ、と感じました。途中までは主人公アディー(Addie)の冒険がちょっと期待はずれなような気もしてたんですが(私の読み方が遅いだけかも…)、彼女がドラゴンに囚われてから断然面白くなりましたね〜。
うーん、読み終えた直後なので感想がすごく長くなっている…締めますか。
最後にちょっと「良いシーン」を超訳してみました。本当にいい加減かつ自分勝手な脳内訳ですが、ご勘弁くださいませね。

 お父様がDrualtのようだったら良かったのに。もしDrualtの娘が『灰色の死』に罹ったら、彼はSpectreをつかまえ、無理やりにでも治療法を聞きだしただろう。ドラゴンの背に乗り、ドラゴンが治療法を言うまでそこから動かないだろう。もしメリルが彼の娘だったら、彼は病の治療法を見出すまでメリルを腕にかかえて連れていくだろう。そして最初に彼女を治し、メリルは『灰色の死』を乗り越えた最初の人となるのだ。もしメリルが彼の娘だったら、彼はメリルを決して死なせはしないだろうに。
 次に浮かんだ考えは、それが思いがけない事にも関わらず私をうちのめした。――『灰色の死』に罹ったのがメリルではなく、私だったら、メリルはミルトンが私の運命を告げるやいなや、治療法を探しに旅立っただろう。彼女はこの城の中でただすすり泣いたり、弱虫の王やばかげた仮説に望みを託したりしなかったに違いない。
 私は彼女がするようにしなければならない。今、すぐに!もう6日も時間を無駄にしてしまった。おそらくもうメリルには、それほど時間が残されていないのだ。(p56〜57より)

(2005.2.10)


「ドッグ・シェルター 犬と少年たちの再出航(たびだち)」(著:今西乃子/発行:金の星社)
 アメリカ、オレゴン州の少年院で実際に行われている、捨てられた犬のしつけと世話を少年院の少年たちが行う「プロジェクト・プーチ」という活動のドキュメント。
 犬、という生き物の存在について考えさせられました。動物、特に「人につく」と言われる犬は時折人間にはできないことをやすやすとやってのける。それは偏見も先入観もなしに、「今」自分と向かい合っている人間を信頼する、ということ。愛情の媒介者となること。だけど、犬という生き物は長い年月の間に人間が作り出してきた生き物だから、それは逆に人間がそういう生き物の存在を必要としていたからなのかな、とか。
 今は日本でも犯罪の低年齢化、そして捨て犬・捨て猫の増加と、このドキュメントを他人事として片づけられない要素がたくさんあると思います。だからこの話はもっとたくさんの人に知って欲しい。もちろん人にも犬にも適性はあるけれど、なぜ犯罪を犯した少年たちと人間への信頼を失った犬がよりそうことで、互いに社会への義務を、そして人間への愛情と信頼を取り戻すことができたのか、そういうケースも確かに存在するということを、頭のどこかに置いていて欲しいと思います。(2003.1.30)


「トニーノの歌う魔法」<原題:The Magicians of Caprona>(著・ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/訳・野口絵美/発行・徳間書店)
 『大魔法使いクレストマンシー』シリーズの4作目です。ただし、作品間の時間軸が一番後というわけでは無いようです。今回の舞台はクレストマンシーがいる世界の、イタリアの小国カプローナ。そこで相争う二つの家。どちらも旧家の魔法使い一族で、国を庇護する魔法使いであると同時に、魔法の呪文を作っては売る仕事をしています。そこに、カプローナを支配しようとする他国の兵と、その背後にいる敵の魔法使いの手が伸びて…。
 今回、クレストマンシーの影は薄いです。物語の内容は全然違いますが、クレストマンシー自身の登場度合いでは、同じクレストマンシー・シリーズの「魔法使いはだれだ」に似ているかも知れません。あくまでも主人公は別にいて、彼らが頑張っているのが好きな方にはおすすめ♪ 実は私も、この4冊の中では「魔法使いはだれだ」と、この「トニーノ」が一番好きです。魔法が「言葉」ではなく「歌」で、どこかミュージカルを思わせる設定もいかにもイタリアって感じで(<偏見か/笑)(2002.6.12)


「トリスタン・イズー物語」(編:ベディエ/訳:佐藤輝夫/発行:岩波書店)
 中学生くらいの時に1度挫折したきり手にとっていなかった本です。改めて読んで、何と言うか、古典の面白さを堪能しました。恋愛小説の原点を見たような…。(昔、挫折したのは旧字体の漢字が読めなかったんだと思います)
 途中、黄金の髪のイズーが殺されるかわりに周りから疎まれている人々の群れに引き渡される(!)所や、イズーが貞節の証に炎の中の鉄をつかまなければならないという受難の時にトリスタンが変装してそれを切り抜ける所など、今読んでもハッとするような展開がいくつもあります。しかしどう考えてもトリスタンとイズーは不倫関係で、それをやたらと正当化しようとするナレーションはうっとおしいんですがね(笑)。最後の解説にもありましたが、何も知らずにイズーを妻として愛したマルク王の書かれ方の良さ。これがこの物語の支柱になっていると思います。特に最後の章で、とうとう自分を裏切ってトリスタンのもとへ走ったイズーを知った時のマルク王の心境。トリスタンとイズーを同じ墓には葬らなかった彼の心境。なのに、最後の最後で薔薇の蔦を切るのをやめさせた彼の心境。…本文には書かれていない彼の心境を考えると、とても切なくなります。マルク王の視点から見た「トリスタン・イズー物語」なんて無いのだろうか。あってもおかしくないと思うんだけどなあ…(読んでて辛すぎるか)。(2002.2.2)


「なきむし魔女先生」(著:浅川じゅん/発行:講談社<青い鳥文庫>)
 四年生の始業式の朝、ヤチが見かけた女の人は、地面に散った白いばらの花にウインクして、もとのばらに戻してしまった!ヤチのいる四年三組にやってきた新米ほやほやのその人、氷野先生を、女の子たちは「美女先生」、男の子たちは「ぶ女先生」と呼ぶ。でも、ヤチだけは誰にも内緒で氷野先生のことを「魔女先生」と呼ぶことにした。
 国語も算数も社会はまあまあだけど、理科と音楽と図工はダメ。体育ときたらまるでダメ!のどじな魔女先生を囲むのはヤチの他に、さるとびの異名を取る運動万能なエツコ、ゴリラのまねが得意なゴリ、がり勉、サブやんたち。勉強が得意な子は少ないけれど、みんな先生と友達が大好きで、先生も生徒たちが大好きなしあわせなクラス。でもそこに一つ、あいたままの席。「ちいさいおかあさん」とも呼ばれた優しい男の子、てっちゃんは四月から入院したきり、登校してこない…。

 とてもシンプルな学校ドラマ…だと思うんですよ。ひとに紹介しようとすると。でも、そこに「機能退行症」という病を患うてっちゃんが関わり、そしてヤチだけが魔女だと信じている先生のもたらす要素が、この物語をただのドラマではなくしています。国語が「まあまあ」な先生のわりに、作り話としてはいきいきし過ぎている「火の精と氷の精の話」など、本当に先生は魔女なのでは…?と思わせるふしがあちこちにあったりして。
 ヤチは最後まで魔女先生が魔女だと信じていますが、読者にとってはヤチ以外の登場人物同様、先生が魔女かどうかははっきりしません。先生が魔女だったら。人間が悲しい事をなくす魔法を使えたら……何度もそう思うヤチにささやく先生の声は、読者にも読後やさしく響くことでしょう。「魔女じゃないの…。人間の世界で魔法が使えるのは…人間なのよ…。」(2008.4.7)


「なぜ日本人はイラクに行くのか」(著:吉岡逸夫/発行:平凡社<平凡社新書>)
2002年3月にイラク戦争が始まってから、多くの日本人がイラクに渡航しているそうで、これはその中の12人に対するインタビュー集です。12人の顔ぶれは実に多彩で、自衛隊隊員からジャーナリスト、作家、NGO関係者、旅行社の社員、そしてイラクで人質になった当人や殺害された人の遺族もいます。彼らの目から見たイラクとイラク戦争は、語る人によって驚くほど違います。と同時に、いかに私たち日本にいる一般市民が、政府やマスコミを通してイラクという国を誤解「させられて」いるか、ということを実感して、自分で知ろうとしないことは恐ろしいことなんだなあ、としみじみと思わされました。

たとえば、イラクで3人の民間人が人質になった時、イラクの事情に通じていた人は皆「あれは大丈夫だ」と確信していたことと、その理由とか。サマーワにいる自衛隊と、それ以外の土地にいる自衛隊隊員の処遇の、あまりにも違いすぎることとか。どうして日本人が人質になると「迷惑をかけてすみません」と言うんだろう。人質になって解放された2人のジャーナリストが、突然見知らぬ通りすがりの人から「心配したんだ、どうしてあんなところに行くんだ」と怒られたくだりは、読んでいて思わず苦笑してしまいました。

いかに日本に「民主主意」が根付いておらず、いまだに「ムラ社会」なのかということが、イラクの人質事件から分かるというのは、意外な展開でしたね。でもまったく、その通りだなあと。そしてマスコミが、いかにその意識に付け入って「ウケるニュース」を作っているか、作りたがっているか、ということ。それを知れただけでも読んで良かったと思いました。(2005.5.15)


「バカの壁」(著:養老孟司/発行:新潮社<新潮新書>)
 タイトルが面白そうだったので読んでみました(笑)。大学教授のフリートーク集、といえばいいのかな。テープからおこして本にした感じのエッセイです。テーマは個性とは何か、情報とは何か、無意識と体と共同体の関係、教育について、そして一元論と二元論について。つまり硬い話です。

 さすがに医学部教授だけあって、医学的な見地から見た意見が面白かった。キレる子供と前頭葉の関係とかね。衝動殺人犯は前頭葉機能がうまく働いていなくて、連続殺人犯は扁桃体が働きすぎているとか。無意識の時間、つまり睡眠時間も脳も身体も働いているのだから、意識のある時間だけが自分の人生だと思ってはいけないとか。脳の中の入出力計算、共通了解と強制了解の違い、このあたりは漠然と感じていたことがはっきり説明されていて「うんうん!」とうなずいてしまった。リストラとワークシェアリングの、共同体との関係とか。まあ、おおむね面白かったかな。すいすい読めましたし、全然難しくなかった。(まあ、フロイトを読んだ後じゃなあ…)

 でも、宗教について論じている部分ではちょっと勉強不足というか、ステレオタイプな印象を受けました。一元論と二元論を論じるにあたって、一元論=一神教、二元論=多神教、と例えている部分がそれです。まあ一例としてこう規定したほうが話をすすめやすいからそうしているのかも知れませんが、終始この例えで話を進めているだけに、何の知識も経験もなしにこの部分を読んだ人が「一神教信者の人間はすべて一元論的な考え方しかできないから悪い」あるいは「多神教信者の人間は二元論的な考えをしやすいから良い」と、それこそ一元論的な解釈をしかねません。歴史としての過去はともかく、現代ではそれこそ過去の一元論的な間違いから学んで、二元論的な考え方をしている一神教信者はたくさんいます。また、養老さんは一神教信者はすべて他の一神教信者を敵視しているように書いていますが、もちろんそんな人ばかりじゃありませんよ。っていうか、ブッシュとアルカイダがその反面教師になってくれたばかりに、普通の信者は、いまやムスリムクリスチャン共に相互理解へむけて努力していると思うんだが…。
 それにねえ、厳密に言えばキリスト教は一神教じゃないですよ。神さま二人いるじゃないですか…だからユダヤ教と決別したんですよ、あれは。イスラム教ではマホメットは預言者であって神じゃないので、かろうじて一神教ですが。

 まあ、つまるところは最終章で言っているように、「考えることに楽をしちゃいけない」ってことなんだと思う。楽をしようとして一神教にはまることはもちろん、多神教だと安易に主張したりすることも、行動がそれに伴わなきゃ、結局思考停止状態に他ならないってことなんだろうね。(2004.6.29)


「隼別王子の叛乱」(著:田辺聖子/発行:中央公論社<中央文庫>)
懺悔します。あらすじだけは知っていましたが、きちんと読んだのは初めてです(爆死)。こ…こんな 有名な作品を。古代日本史好きなら必携必読。読んどいて損はありません。ちうか読まないと損かも。 (2001.2.8)


「ハンナのかばん」<原題:A TRUE STORY HANA'S SUITCASE>(著:カレン・レビン/訳:石岡史子/発行:ポプラ社)
2000年春、東京の小さな資料館にアウシュビッツ博物館から届いた小さな鞄…そこに書かれた「ハンナ・ブレイディ」という一つの名前。この物語は、東京に実在するホロコースト教育資料センターの所長である女性と、そこで学ぶ子どもたちが、展示資料として届いた鞄の持ち主を探して活動し、見事ひとつの出会いを生み出すまでの真実の物語です。2000年に東京から始まったハンナを探す旅と、約70年前のチェコスロバキア(当時)で生まれた少女が戦争に巻き込まれていく過程が交互に語られ、最後にひとつの出会いを生み、さらに未来への希望が語られる終章ではぼろぼろに泣かされました。どんなに酷い悪意にもたらされた死でも、それを受け止め、未来への希望に変えていこうとする人間がいる限り、死はすべての終わりではないのですね。(2002.9.9)


「ピグルウィグルおばさん」<原題:MRS.PIGGLE-WIGGLE>(著:ベティー・マクドナルド/ 訳:中山知子/発行:学習研究社)
 子どもが大好きで、町中の子どもたちのことを親よりもよく知っているピグルウィグルおばさん。彼女のところには子どもたちだけでなく、わがままな子どもに手を焼いている親たちの相談も絶えない。どんな寝ぼすけも、お風呂嫌いも、けちんぼも、おばさんの愉快な療法にかかればいちころで…、というお話。
 子どもの頃、姉にすすめられて読んだ物語です。「そういえばこういう時、ピグルウィグルおばさんはね…」と、いまだに話題にのぼります(笑)。子どものわがままを直す、と言うと教育的な意図が臭いますが(実際、そういう意図は見え隠れしてますが)、どちらかというと子どものわがままに振り回される大人の描写が面白くて大好きでした(笑)。自分のわがままに振り回される子ども自身の表現も痛快だったし!   訳文もすごーくリズムがあって、会話がポンポン弾んでいく感じが楽しいです。
 この本、まだ出版されているのかなあ?


「日輪の神女」(著:篠崎紘一/発行:郁朋社)
ちょっと日本史を学んだことがある人なら、「邪馬台国」と「卑弥呼」の名を聞いたことのない人はいないと思います。未だにその正確な場所さえ解明されていないこの古代王国を、歴史上の通説とはちょっと違ったオリジナル設定を元に、卑弥呼以上に謎に包まれている卑弥呼の後継者、台与(とよ)を主人公に描きつつ、当時の風俗や世界観をリアルかつ繊細に描いた壮大な古代小説です。第1回古代ロマン文学賞受賞作品。

とにかく当時の風俗だの言葉だの世界観だのがとんでもない量の研究と想像力で織り成されていることが分かる文章で、ぶっちゃけ話の大筋よりも、そういったディテールが面白かった。「主人公がああしてこうしてどうなった」と説明したら無難に終わっちゃうのに、「あそこのあのシーンがまた読みたい…」と思い出して読みたくなっちゃうような場面が満載です。主人公の行動だけでなく、それをとりまく空気がすごくよく出来ているのですね。とりわけ主人公・台与が、巫女として最高の栄誉である「神に憑かれた」神女になるために行う行(ぎょう)の数々はどれも凄まじくオリジナリティに富むもので、本当にこういうことをやっていたような気にさせられます。

逆に言えば、そういった古代の民俗とか古めかしい言葉遣いが読むの辛い…という人は早くに挫折しちゃうかも…(苦笑)。でも一旦このリズムに乗ってしまえば後は最後までジェットコースター。続編もあるらしいので読んでみたいです。(2005.9.27)


「火のくつと風のサンダル」<原題:FEUERSCHUH UND WINDSANDALE>(著:ウルズラ・ウェルフェル/ 訳:関 楠生/発行:学習研究社)
 チムはクラスで一番のでぶで、しかも学校一番のちびの男の子。学校ではいつもその事でからかわれてばかり。「ぼくは、ぼくなのがいやになっちゃったんだ。ぼくは、ほかの男の子になりたいんだよ」…そう言ったチムに、靴屋のお父さんは真っ赤な靴を誕生日にプレゼントする。新しい靴と、夏休みのお父さんとの二人旅と、新しい名前「火のくつ」を。
『どこか遠くへ行って、別の自分になってしまいたい』一度は誰もがいだく悲しい思いを、しっかりと受け止めて叶えてしまうお父さんが、とても素敵です。それにこのお父さん、子どものわがままや弱音を決して頭ごなしに叱ったりせずに、面白いたとえ話、おとぎ話を作って聞かせることで子ども自身に気づかせる、すぐれたストーリーテラーでもあるんです。初めて読んだ時は、旅の間にいろんな経験をして成長していくチムに感情移入していたんですが、改めて読んで、子どもを侮らず、ただ深い愛情と ユーモアと知恵とで子どもを包んでいるお父さんがたまらなく好きになりました。


「ビビ=ククのゆかいな旅」<原題:BIBI-COUCOU, Le Joyeux Chemineau>(著:メイ・ダランソン/訳:工藤みち子/発行:偕成社)
 小さい頃、よく読んだ本のひとつです。思い出して追加。

 ビビ=ククは、ある小さな村のお百姓の家の長男として成長した、背の高いやせっぽちの男の人です。いつもにこにこ、楽しそうにしていて、ひとつも不平を言ったり、悪意から悪いことをしたことがありません。いたずらが大好きなので、いたずらされて笑いものになった人が時々怒ることがありますが、それでもビビ=ククとお喋りをして、彼の取り出すゆかいな話、面白い話に笑っているうちに、すっかり機嫌がなおってしまうのです。

 ビビ=ククは、実家の農家が経営不振に陥った時に、(おそらくは家族に負担をかけないために)旅に出ることを決意します。この本は、その旅の物語です。もともと、いろんなきれいなものを見て、歩くのが大好きなビビ=ククにとって、旅はまさにうってつけ。そしてその道中で出会ういろんな事件やトラブルにも、ビビ=ククらしいやり方で、明るくかろやかに解決してしまいます。

 歌う時計のカッコウ、可愛いけれどちょっとわがままで、すぐすねる気まぐれな女の子のような子ぶたのローズ、田舎のおいしい水で機嫌よくなってレールをはずれ、野原へピクニックに出かける汽車など、このお話には人間以外の生きものもたくさん登場します。ビビ=ククもただ歩いているだけではなく、時にはサバ漁を手伝ったり、他人の家のスモモを食べ過ぎてお腹をこわしたり、村長さんのコックになったりします。それに、随所にでてくるおいしそうなご馳走! シュークリームの朝ごはん、肉詰めのパイにリンゴサイダー、ゆでた大きなイセエビ。フランスのお話らしく(?)カエルの足の上品な料理、なんてものも出てきます。ほとんと一章に一回は食事の場面があって、それがまたすごく美味しそうなんだわ〜。(あ、それでよく読んでたのか…な…;)

 私が持っている本は昭和40年発行のものなので、今でも入手できるかどうかは分かりません。しかし今回、ちゃんと後書きを読んだら、『日本の子どもに向いていない』ことから、原本より4章少なくなっている、との注釈が…。
 そんなこと書かれたら読みたくなるじゃないですか〜!しかも続編「ビビ=ククかえってくる」というものもあるそうです。あああ、読みたいよう…。


「風神秘抄」(著:荻原規子/発行:徳間書店)
やー、面白かったー!なかなかスピード感のある物語で、久々に午前様で一気読みしてしまいました。翌日眠かったことといったら…(汗)
 世界観は「勾玉三部作」と共通しているようです。主人公の草十郎は「薄紅天女」の主人公たちと同じ武蔵の足立家の出身だし、なにより「鳥彦王」の名を持つカラス、ですもんね。この鳥彦王の性格が“あの”鳥彦を思わせる陽気な性格でなかなか楽しかった。そうですね、今回の面白さはカラス達の功績が大きいですね。天衣無縫というか、人間の予測を超えた神秘さと陽気さを兼ね備えたいきものの魅力が発揮されていたと思います。

あと、主人公・草十郎とヒロインの糸世(いとせ)もね。どうやら二人ともこれまでになかった美男美女のカップルのようなんですが、それはあくまで二人の持つ異能――「音律」によってそこにはない「場」を作り上げ、異界への「門」をひらく力――に因る、繊細でどこか人ならぬ雰囲気から来るものではないかと感じました。それでいて、後半で二人の位置関係ががらっと変わって、雰囲気も変わる所も鮮やかだったしね。物語後半は新しい登場人物がどんどん出てきたり、そのせいでクライマックスに向けてちょっと話が駆け足になったりしたけど、最後までスピード感を殺さずに読めたのは良かったと思います。それに何より、所々に出てくる古謡を軸に、糸世の舞や草十郎の笛が作り出す音律の世界描写がとても印象的で、久々に想像力をフル回転させる快感を味わいました。こういうの大好き!♪

あ、でもまたこの世界観で新作があるなら、あの「刀利天」にはあまり言及しないで欲しいなあ…(笑)。せっかくのハイ・ファンタジー世界なんだから、なんだからさ〜。あと、これは自分の無知をさらけだすようで恥ずかしいんだけど、源平の家系図とかちょっとあったら嬉しかったかも。人の…人の名前が。どれが父親でどれが子供だか…じ、時代年表までとは言わないから!(2005.8.3)


「ふくろねずみのビリーおじさん」<原題:The Adventures of Unc'Billy Possum>(著:ソーントン・バージェス/訳:前田三恵子/発行:金の星社〔バージェス アニマル・ブックス第3巻〕)
全20巻…のはずなのに、なぜこの第3巻だけうちにあったのかな(^^; 謎の一冊(笑)。おそらくシリーズを通じて登場人物(というか、動物)は共通してます。単体でもじゅうぶん読めると思いますけどね。実際、私もこれがシリーズものだとは随分長いこと気付いてませんでしたし(爆)

ま、タイトル通り、主人公は「ふくろねずみのビリーおじさん」です(笑)。たまごを食べるのが大好きな食いしん坊で、お百姓のブラウンさんの鳥小屋へ忍び込んでは、危ないめに遭ってばかりいます。そのおかげで、しっかり者でやかまし屋の奥さんは、いつも心配したり怒ったりしっぱなし。森の仲間には、ねぼすけのアライグマ、ボビーや、告げ口屋のかけすのサミー、いじわるぎつねのレッド、賢いヒキガエルのじい様、うかれもののりすのジャックなど、楽しい仲間がたくさんいます。この本では、ビリーおじさんが、遠い所に離れて住んでいた奥さんと子どもたちを呼び寄せたこと、その歓迎パーティのこと、そして冬になって、おじさん最大のピンチをどう乗り越えたか、などというお話が入っています。

素朴で淡々としているのに、小気味よくて楽しくて、特にビリーおじさんが大好きなたまごをどう取りに行ったか、どうピンチを切り抜けたかなど、結構何度も読んでました。おじさんの食べるたまごがまた、おいしそうなんだよなあ。(笑)


「フリーク・ザ・マイティ 勇士フリーク」<原題:Freak the Mighty>(著:ロッドマン・フィルブリック/ 訳:斉藤健一/発行:講談社)
1999年に日本公開された、「マイ・フレンド・メモリー」という映画をご存知でしょうか?
 並外れて小さな体に優れた脳みそを持つ少年と、それとは正反対に年の割りに大きな体に学習障害を抱えた少年が、互いに互いの欠点を補いあって「勇者フリーク」となる物語なのですが――そう、この映画のもともとのタイトルは「ザ・マイティー」。「フリーク・ザ・マイティー」はこの映画の原作です。

 小説と映画はディテールこそ違えど、大きく変わる所はありません。小説は一貫して大きな体に本が読めない、計算ができないなどの学習障害を抱えた少年、マックスの視点から描かれます。「脳みそがなかった」マックスの前に現れた少年ケビン。身長が60cmしかなく、矯正器が手放せない体でロボット人間の真似をし、アーサー王と知り合いだったように話し、「記憶は心がつくりだすすばらしいもの」というケビンとマックスは、一緒に花火を見た夜に思わずマックスが彼を肩車した瞬間から、ときにはケビン以上であり、ときにはマックス以上でもある「勇士フリーク」になります。

「どうです、こんな例は?」フリークがいっている。「ときどきぼくたちは身長が二メートル七十センチになり、壁をつき破って歩けるほど強くなるんです。不良と戦うこともあります。宝を発見することもあります。竜を退治し、聖杯で聖なる水を飲むこともあるんです!」(本文p106より)

 物語の最後で、ケビンとマックスは別れを迎えます。それをアンハッピーエンドというのは簡単ですが、そうではないと確信できるのは、やはり「勇士フリーク」の存在にあるでしょう。単なるお涙頂戴の友情物語なんて先入観で読み始めたら、二人の(とりわけケビンの)シニカルな視線に砕かれます。少なくとも二人はお互いのことを「かわいそう」だとか「親友」だとか一言も言っていない。ただ必要なものがあって、それをその時相手が持っていたので、それを与えあっただけのこと。それがどれだけ当たり前で、そして大切なことなのかということを、この物語はあくまでもクールに、カッコよく教えてくれるのです。


「ブーリン家の姉妹(原題:The Other Boleyn Girl)(著:フィリッパ・グレゴリー/訳:加藤洋子/発行:集英社文庫)
 ここ三ヶ月くらいのマイブームだった小説。16世紀のイギリスを舞台に、王宮の権謀術数に巻き込まれるブーリン家の姉妹、アンとメアリーを描いた物語です。
 個人の意思や人権など無視した権力争いの中に浮かんでは消える、愛や尊敬や信頼。映画では「イギリス版大奥」なんてキャッチフレーズがついていたようですが、 私はむしろ平安時代の摂関政治を思い出しました。ひとつの家名が王の後見として権力を得るために、娘や女たちがあっさりと捨て駒になった時代。親が子を愛する、妻が夫を愛するという、ごく当たり前の愛情ですら、当たり前でなかった社会で、ひとりの女性として目覚めるメアリーがとても鮮やかです。
 メアリーの姉アンは、後に大英帝国を築く女帝エリザベス1世の生みの母でありながら、断頭台に送られた女性。英国王室史上最大のスキャンダルの主人公として、イギリスではその名を知らぬ者のないアン・ブーリンとヘンリー8世を知る上でも、最適の書です。イギリスの王宮・王室関連で、彼らの名前が出てこない所はありませんから…。 (2009.5.28)


「ポビーとディンガン」(著・ベン・ライス/発行・アーティストハウス)
訳者の雨海さんが後書きで仰っているとおり、まさしく『小さな宝石のような小説』です。 最近の本屋で平積みになっている本と言えば、自己啓発もの、お涙頂戴もの(すみません)、スポーツもの…質の高いフィクションに飢えていた私にとって、この本が(一瞬とはいえ)平積みになるほど本屋にあったというのは、とても嬉しい出来事でした。(2001.3.15)


「魔女集会通り26番地」(著:ディアナ・ウィン・ジョーンズ/訳:掛川恭子/発行:偕成社)
 面白かったです!!翌日仕事があるっていうのに、思わず徹夜しかけるほどに…。私はよく 寝しなに本を読むんですが、中には「この人の作品は必ずといっていいほど面白いから寝しなには読まない」という作家さんが何人かいるんです(宮部みゆきさんとか)。今回でダイアナさんもその中に加わりました。これからはダイアナさんの本も、休日の前にしか読まないぞ(笑)。
(ちなみに、巷で大ベストセラーのハリー・ポッタ・ーシリーズは2巻までなら寝しなに読んでました…)

 自意識過剰で自信過剰の優秀な少女魔女グウェンダリン、その気弱な弟で主人公のキャット、二人の書かれ方が徹底していて、読みながらもどかしくなること多大。両親をなくした二人をひきとる謎の大魔法使いクレストマンシーの変人ぶりは「空中の城」シリーズのハウルを彷彿とさせる徹底ぶりです。そしてやっぱり魔法の使われ方と世界観のすごさが。とにかく想像したとおりの展開にならないのです。この「クレストマンシー」シリーズは、現在新しい訳で刊行されていて、この「魔女集会通り26番地」は現在「魔女と暮らせば」というタイトルで新しく刊行されています。出版社は偕成社ではなかったはず…今度調べておきます。(2002.2.2)


「魔女の宅急便」(著:角野栄子/発行:福音館書店)
 思ったより(ジブリの)映画は原作のストーリーをなぞっていたんだな、と思いました…。少なくとも「ハウルの動く城」に比べたら桁違いのリスペクトを原作に対して払っている。でもやっぱり違うなあと思うのは、これはもうジブリと角野さんワールドの違いとしか言いようがないですね。映画と原作は別物。
 私は映画のキキも好きですが、改めて原作を読んでみて、こっちのキキには映画にはない魅力がつまっているなあと思いました。なんていうか、現実にいる少女たちはどう頑張ってもジブリ映画のヒロインにはなれないけれど、物語の「キキ」にはすごく親近感を感じると思う。魔女になれるっていうわけじゃなくて、原作のキキには、赤ちゃん時代があり、そしてこれから先、おとなの女性になっていくであろう、その中間地点に立っている少女であるというリアリティがあるんですよね。漠然としていますが。
 そしてけっこう商売の基本を学べる本でもあります(笑)。「もちつもたれつ」「誰かのお役に立つことで宣伝になる」「空を歩くより地面を歩くのも大事」なんて、みんなビジネスの基本であり理想ですよね!
 万年筆のエピソードがとても印象強く、良かったです。続きも読もう。(2009.8.31)


「魔法使いはだれだ」(著:ディアナ・ウィン・ジョーンズ/訳:野口絵美/発行:徳間書店)
 前回に引き続き「クレストマンシー」シリーズ。このシリーズは別に続き物ではなく、世界観と 「クレストマンシー」という魔法使いを軸にした別の物語なんですね。今回の世界は魔法が存在するにも関わらず魔法が非合法であり、魔法使いであることがばれれば警察に捕まって殺されてしまう世界。そこにある国立ラーウッド寄宿学校2年Y組で「このクラスに魔法使いがいる」という匿名の告発があった所から物語は始まります。ただでさえ問題児ばかりが集められたこの学校で、特に問題視されている2年Y組の子供達は、いじめたりいじめられたりする殺伐とした生活を送っているのですが、そのうえ、互いに相手が魔法使いではないかと疑いあうに至って、ピリピリした空気はどんどんエスカレートしていきます。そのあたりの表現で手加減しないのが、この作者の特徴なのかなあ。読んでて結構、辛かったです(苦笑)。いじめられてばかりで、自分に自信を持てない子供が、「超越した力」というものにしがみついてしまう心理が痛くて。そういう意味では、一種の成長物語なのかも知れませんね。
 伏線のちりばめ具合と、最後のまとめ方はすごくつじつまが合っていてキレイです。うまいなあ、と思うと同時に、こんなにきれいにまとまってしまって良いんか?という天邪鬼な思いが浮かんでくるほどに(笑)。(2002.2.7)


「モーセと一神教」(著:ジークムント・フロイト/訳:渡辺哲夫/発行:筑摩書房〔ちくま学芸文庫〕)
「十戒」で有名なモーセは実はエジプト人だった、という説を見たのは実は初めてではなくて、最初に見たのは長岡良子さんの「ナイルのほとりの物語」というコミックでした。このコミックには、エジプトを舞台にしたいくつかの物語が集められているのですが、その中でモーセをエジプト人ではないかと仮定した上で書かれた物語があったのです。当時はすごく新鮮で、よくもまあ頭の固い信者にバッシングされなかったなあと思ったのですが、この本を見つけて納得しました。先達者がいたのですね。しかもそれがフロイトとは。

 この本はフロイトの晩年に書かれたもので、研究書というよりはユダヤ人である自分のアイデンティティのために書いた印象が強い個性的な書になっています。第一章「モーセ、ひとりのエジプト人」と第二章「もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば…」はかなりまとめられていて、民族学書のノリで読めるのですが、第三章「モーセ、彼の民族、一神教」はかなり、いやとても難しくて、半分も理解できませんでした…がくり。
 でも、エジプト人であったモーセが実は歴史上初の一神教を興したエジプトの王アクエンアテンの臣下で、ユダヤ教の基となったのはアテン教ではないのかという説は説得力がないことはないし、面白いと思いました。エジプト大好きなので…(笑)。アマルナ王朝(アクエンアテン統治王朝)の趨勢も好きで、カイロ博物館に行った時はまっさきにアマルナ文化のコーナーに走ってったしなあ。アマルナ王朝の芸術って、それまで様式美一辺倒だったエジプト芸術を覆してより写実的表現を使おうとしたっていう独特の文化なんです。あれがもしかして、歴史の影でこんなふうに…と思いながら読むとすごくエキサイティングでした。既にフロイトの意図から離れたところで楽しんでいたような気もしますが(笑)はい、読んで良かったです。(2004.6.29)


「ゆうかんな船長」(著:ラディヤード・キップリング/訳:龍野立子/文:川村たかし/発行:小学館〔国際版少年少女世界文学全集17)
 今回この本の感想を書くために久しぶりに本を引っ張り出してみて、作者があの「ジャングル・ブック」の原作者だったと知ってびっくりしました(^^;。それにしちゃ、この本は知られていないのでは?面白い本なのに〜。

 タイトルは「ゆうかんな船長」ですが、主人公は甘やかされて育った富豪の息子・ハービーです。ハービーはニューヨークからイギリスに行く豪華船に乗っていましたが、 甲板に出ている時に急にカーブした船から振り落とされて海に落ちてしまいます。折悪しく誰も見ていないときのことでしたが、彼は通りがかった小船に拾われます。
 小船はマサチューセッツ州のグロスターという町から出港していたタラ漁漁船の伝馬船で、親船の船長は豊かな経験と立派な見識を持ったトループ船長でした。 生まれて初めて出会った、金や権力には振り向きもしない漁師たちの生活、知識、行動を目の当たりにして、ハービーは学校では学べないことを学んでいきます。

 主人公が少年のハービーなのにタイトルが「船長」であることが、小さい頃から不思議でした。明らかにハービーの成長物語でありながら、一番面白い、楽しい部分は 当時のタラ漁船での漁師たちの生活なのです。船の上での食事に出る焼いた豚肉、揚げジャガイモ、丸パンのおいしそうなことといったら! タラの絶好のエサがヤリイカで、 ヤリイカを捕るには特殊な形の針があればエサは要らない、とか、捕れたタラは塩漬けにして運ぶんだとか、すごくリアルで、たぶん本当のことなんだろうなあ。航海もので 面白い作品にはほとんど出会ったことがないんですが、この本は大好きだったし、今でも好きです。なんだか、強烈な潮のかおりのする作品なんですよね。
 子ども向けの文学全集のひとつだったこともあって、もしかしたら原作よりは簡単に意訳されているのかもしれない。きちんと訳しなおして、再販してほしい本です。 (2004.3.8)
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「夕凪の街 桜の国」(作:こうの史代/発行:双葉社)
コミックです。とっても薄いのですが中身はすっごく重い。いや、深い、と言ったほうが正しいかな。でもこういう書き方は好きです。こんなに評判になっていなかったら、もっと早く購入していたと思う。天邪鬼。
凄惨なシーンというものはほとんどありません。今もそんなシーンがあったかどうか思い出せない。そもそも舞台は戦後10年経った頃の話だし。でもすごく心に迫った。イギリスにいた時、初めて日本人に会ったというイギリスのおばあさんに会って、「第二次大戦の時にひどい爆弾が落とされたって本当?」と聞かれ、語学力の乏しさもあってうまく説明できなかったけど、今ならいろいろ語れると思う。

私が学校の先生だったら、自腹で2冊くらい買って学級文庫に置いちゃうかもな〜。そんでもって「これで読書感想文書いても可!」くらいは言っちゃうかも。(2005.9.6)


「ライアルと5つの魔法の歌」(著・キャサリン・ロバーツ/ 発行・サンマーク出版)
これ、ほんとに子供に読ませていいんかい?と 要らぬ心配をしてしまうほどバッタバッタと人は死ぬわ、ヒロインは拷問されるわで、 ハードなファンタジーでした。これはイギリスのファンタジー小説ですが、ハリー・ポッター よりは大人向けのような気がしますね…。タイトルからすると、ライアル一人が主人公のよう ですが、実は違います(笑)児童文学で必然のテーマとして「成長過程を描く」ちうものが あるのは皆さんご存じでしょうが、この物語で成長するのはヒロインのライアルではなく、もう一人の 主人公、ライアルとは極めて敵に近いライバルの少年です(笑)少年と少女、というとラストでは カップルに?と思った想像力の無い私ですが、これもまた違うんですな…。ヒーローとヒロインが 初めから終わりまで完全には馴染まない関係、というのが新鮮で、読後もなかなか妄想、もとい 想像をかきたてられる作品でした。10年後とかね。 ふふふ(これだから腐女子は…)
原題は「Song Quest」。Questの意味が辞書では「探求」とか「探索」とか出てきたんですけど… いったい、何て訳するんでしょうね…?(2001.2.27)


「ライディング・フリーダム 〜嵐の中をかけぬけて〜(原題:RIDING FREEDOM)」(著:パム・M・ライアン/訳:こだまともこ/発行:ポプラ社)
 1868年11月、アメリカで大統領選挙が行われた時、カリフォルニア州でチャールズ(チャーリー)・ダーキー・パークハーストという一人の青年が投票をしました。彼は優秀な駅馬車(昔のタクシーのようなもの。「大草原の小さな家」とかに出て来ましたね)の御者で、馬に顔を蹴られる事故で片目を失いながらも引退することなく仕事を続け、数々の異名を取るほど優秀な人であったそうです。
 ところが彼の死後、彼が実はシャーロットという名の女性であったことが判明しました。当時のアメリカ社会は女性の権利をほとんど認めない社会です。もちろん参政権も、まともな仕事に就くこともできません。彼女は、「女性が政治的意見を持つはずもないし、一人前に仕事ができるはずもない」事が常識だった当時のアメリカで最初に自らの意思を持って投票をした女性、そして女性の身体を持ってしても男性と同等以上の仕事が出来ることを証明した女性として、歴史に名を残すことになります。

 この本は、この実話をもとに書かれた物語です。作中では、未だに謎であるシャーロット(=チャーリー)の子供時代を創作し、孤児院で飼い殺しになるところを自由を求めて女であることを捨て、大好きな馬と共に生きることを選んだ一人の女性としてシャーロットを描いています。その自由への激しい希求。そして最後の、『今手にしているこの一票を投じても、なんにも変わらないかもしれない』投票用紙を握って投票所へ向かうシャーロットの思い。常に『自分の魂の声に耳をすまして、そのとおりに』してきた彼女の生き様は、形こそ自由を認められながらも"心の自由"を得られずにもがき続けている現代人にとって、まぶしいほどに鮮やかです。

 多分この本は、書店ではなかなか見つけられないんじゃないかな。ハードカバーだけどサイズが小さめで、表紙絵が馬のアップ、他は紺色で統一された、すごく地味な本なんですよ(笑)。でもオビの言葉がとても素敵だし(『夢を追うとき、人はこんなに輝ける』)、アメリカでは11もの児童文学の賞を総ナメにしたそうなので、図書館では確実に見つけられるでしょう。とにかくお薦め。特にこの春、社会に出る人や親元を離れていく人に贈りたい本ナンバー1ですね♪(2002.3.31)


「陸小鳳伝奇」(著:古龍/訳:阿部敦子/発行:小学館〔文庫〕)
 読む香港アクション映画(台湾の小説だけど)。登場人物がいちいちクサイほどカッコよく、花びらだの妙なる音楽だのを背負って登場しちゃったりなんかする。 それでいてアクションシーンがまた迫力があってイイのだ!(笑)主人公は豪放磊落な「四本眉毛の」酒好き男、陸小鳳。彼を助けるのは風月花を愛でる風流人で ありながら武術の達人でもある盲目の美青年、花満楼。金にも情にも動かされない白衣の暗殺者、西門吹雪も陸小鳳にはつい笑いを誘われてしまったりする。
 今回、彼らは亡国の末裔である美貌の公主(姫)と出会い、彼らのために亡命した王子と消えた財宝の行方を追うことを引き受ける。財宝を持って逃げたとされる、 顔も知らないかつての重臣。次から次へと襲いかかる刺客たち、そして美しい女たち。誰が敵で誰が味方か、罠にかかっているのは敵か、自分か?
 最後のどんでん返しも意外な、痛快アクション小説。……んで、どうして絶版なのさーー! (2004.3.11)
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「リンバロストの乙女」(著:ジーン・ポーター/訳:村岡花子/発行:角川書店〔角川文庫マイディア・ストーリー〕)
どうしてこの作品をもっと幼い頃…せめて中学か高校生の時に読んでおかなかったんだろう。本との出会いはほんの偶然で印象に残ったり残らなかったりするから、読めなかったことを悔いても仕方がないんだけど、そういう本に大人になってから出会うことは、もしかしたら幸運なのかも知れませんね。読まないまま、出会わずに終わるよりは。

これは同じ作者の「そばかすの少年」から約十年後、そばかすもダンカンのおじさんも去った後、そばかすの残した標本箱を受け継いだ少女、エレノアの物語です。エレノアの父でもある最愛の夫を失ったために精神的に不安定になり、娘を慈しむどころか事あるごとに邪険に扱う母に、何度となく泣かされるさまは、まるで外国版「おしん」かと思ってしまうほど。しかし彼女は近所に住むシントン夫妻の優しさを支えに、悲しみと辛さをばねに優しく賢い少女に育っていきます。彼女が好きで集めた蛾の標本を買い上げ、彼女に学校へ通い才能を伸ばすチャンスを与えるのが、「そばかすの少年」にも登場した鳥のおばさん。そばかす本人やエンゼルも(主に後編に)登場し、前作(発表はこちらが先なのですが)ともに読者には嬉しい構成になっています。

私が読んだ角川文庫版では上・下巻に分かれていまして、それも道理と思うのは、上巻と下巻で物語の流れががらっと変わっているからです。上巻はエレノアの高校生活時代。下巻はその続きでありながら、高校を卒業し一人前の女性となったエレノアの恋を描いています。

でも、上下巻ともに通じるテーマは、やはり「自然への愛」。上下巻を俯瞰しつつ読むと、この作者の森への愛情と信頼、崇敬の情がしみじみと伝わってきます。人間が手をかけた庭園ではない、時折人間にはこのうえもなく危険な場所でもあるが、同時にすばらしく美しいものを秘めた自然そのままの「森」。その美しさを理解することこそが、真の人間性を備えることにつながるのだという、いっそ大胆なほどの主張が、この作品を一種崇高なものにしていると思います。特に下巻、コムストック夫人が蛾の脱皮を見て自然の偉大さと豊かさを語るところ、そしてエレノアの恋敵だったエディスの扱いが!

正直、下巻のあらすじを読んだ時、私はエディスがただの悪役で終わるだろうと思っていたのです。ところが、意外や意外、下巻を読み終わった時点で、私は彼女が一番好きになっていました。彼女の心の変遷は、それほどページ数が多いわけでもないのに、実に見事で説得力があります。彼女が蛾を指に止まらせて道をゆくラストシーンに至っては、うっかり泣きそうになってしまいました。エレノアが豊かな自然に育まれた豊かな人間そのものであるのに対し、エディスは自己中心的な教育と虚栄心に満ちた人間社会の犠牲者でもあるのです。最後のエルノラの台詞が希薄に思えるほどエディスの再生の場面には説得力があり、それこそがこの物語の方向性を見事に表していると思うのですが。(2004.10.10)
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「ロバータ さあ歩きましょう」(著:佐々木たづ/発行:偕成社〔偕成社文庫〕)
 『聖夜を彩る本たち』のコーナー第十三夜でも紹介している童話「子うさぎましろのお話」などを書かれた童話作家、佐々木たづさんが自ら書かれた半生記です。全四章、18歳で病にかかってから20代はじめに完全失明するまでの第一部、童話作家としてデビューし、英国の盲導犬協会を紹介されるまでの第二部、英国で盲導犬ロバータと出会い、訓練を終えるまでの第三部、帰国してからのロバータとの日々をつづる第四部となっています。

 初版は1964年、日本盲導犬協会が設立される3年前です。この本が日本で盲導犬が認められる追い風になったことは否めないでしょう。国産盲導犬第一号であるチャンピィの物語「僕は盲導犬チャンピィ」と対になるような本ですが(同じ偕成社文庫だし…)、盲導犬育成のエピソードが中心だったこれとは異なり、あくまで「ひとりの女性の人生に、いかにして盲導犬がよりそい、歩き出したか」という、静かでしっとりとした内容になっています。(2008.4.7)


「わたしのいもうと」(文:松谷みよ子/絵:味戸ケイコ/発行:偕成社)
  引越し先の学校でいじめられ、生きる気力をなくした「わたし」の「いもうと」を、姉である「わたし」の目から淡々とつづっていく様に、どうしようもなく涙を誘われました。このお話は作者である松谷さんのもとによせられた手紙が元になっているそうです。また、この本は実は「反戦平和シリーズ」のひとつなのですが、それについての理由として、この手紙にあったという「わたし」の叫び…「自分と違うもの、異なったものが認められない心こそが、戦争へ続く道なのではないでしょうか」(うろ覚え)と、それに対する松谷さんの答えが、後書きで語られています。
 最近、戦争の記憶が薄れ、反戦平和の心を教えるのにどうすべきか、などという論争をたびたび目に しますが、戦争を起こす元凶となる心、自分と違うものを受け入れるのではなく排除しようとする心は、周りにいくらでも転がっていて、すべてはひとつの問題なのだ、ということに気づかせてくれた本でした。(2002.5.1)